船橋夜話
船橋街の歴史

宿場町・船橋。夜のにぎわいはどこから来たのか

成田へ向かう人が泊まり、食べ、飲んだ町。いまの駅前の灯りは、街道の時代から続く流れの上にあります。

江戸時代の船橋は、佐倉道で最大の宿場でした。佐倉道は江戸と房総を結ぶ主要な道で、江戸時代の中頃に成田山新勝寺へのお参りが盛んになると、「成田道」とも呼ばれるようになります。

3つの村がまとまった「船橋宿」

「船橋宿」は、海神村・九日市村・五日市村の3つの村をまとめた呼び名です。3つの村は江戸の内湾のいちばん奥に面していました。船橋には佐倉道のほかにも、上総道、御成道、行徳道、木下道といった道が集まっていて、人の行き来が多い土地でした。

海の町としての顔

江戸時代、船橋の漁場は「御菜浦(おさいのうら)」と呼ばれ、徳川家に魚や貝を納めていました。いまも東京湾に残る干潟「三番瀬」で、海苔の養殖や、ホンビノスガイ、スズキ、コノシロの漁が続いています。

灯明台

船橋大神宮(正式名は意富比神社)の境内には、1880年(明治13年)に完成した灯明台が残っています。木造3階建てで高さは約12m。1・2階は和風で、3階だけが洋風の灯台のつくりです。政府に認められた私設の灯台として15年間、海を行く船の目印になりました。いまは千葉県の有形民俗文化財で、毎年1月の祭礼のときにだけ灯りがともります。

鉄道が来て、にぎわいは駅前へ

1894年(明治27年)に総武鉄道の船橋駅が開業し、1916年(大正5年)に京成の駅、1923年(大正12年)に今の東武アーバンパークラインの駅ができました。西船橋駅の開業は1958年(昭和33年)です。人の流れの中心は、街道から駅のまわりへ移っていきました。

この連載では、路地や横丁がどう生まれ、どう変わってきたのかを、これから少しずつたどっていきます。

出典(2026年10月7日に確認)

文:編集部